普請その2
それは、中尾の歴史から紐解いて行かなければならない。
中尾の白山神社の周りには、いくつかの石像が安置されている。およそ江戸時代中期から末期にかけて安置された神様だ。
中尾の年越し・初詣の際は、神社にお参りするだけでなく、その周囲の神々様から街道沿いにある地蔵様までお参りをする。神社だけにお参りして、お神酒をもらってハイお終い、ではない。
その中に、“秋葉様”の呼び名で親しまれている、秋葉大権現が中尾を一望できる場所に鎮座している。この場所が今回のブログのポイントとなる。
安置されるに至った経緯については、今回は省略する。
その後、で、ある。
今でこそ鳥居まで車道が整備され、冬場でも神社へ行くのは容易な事なのだが、この道が整備される前は細い1本の道があるだけだった。小川を渡ってしばらく進むと斜面は急になり斜めに折り曲がりながら登っていかないと、神社へは行けなかった。
また昔の積雪は現在の比ではなく、2メートルを越えるのは常だった。秋葉様にお参りするにはそれこそ大変だった。
そこで街道沿いに、秋葉様に向けて灯篭を設置し、そこまで行かなくてもお参りできるようにした。と言う訳である。(この灯篭が設置されたのが、江戸時代末期。)
それが近年になって、その灯篭から秋葉様が見えなくなってしまった。杉がぐんぐん伸びてきて、遮った為である。(実は数年前に、秋葉様の目の前の斜面に杉林が立ちふさがり、そこを伐採したのだが、開けてみると今回の杉がさらに立ちふさがっていた。)
今回の作業は、灯篭から秋葉様が見えるように間引きしよう、というものである。
もともと杉間伐は、
森を再生する。
カブトムシ・クワガタ・蛍等の、生き物にとってやさしい環境づくりをする。
神社からの景観を良くする。
住宅地から神社が視認できる事で、治安を改善する。
等々の理由で始めた事業であるが、それがベンチ作りといったような間伐材の再利用や、中尾の歴史を見直すきっかけにつながった。
ちなみに、
現在神社の周囲にある石像は、先にも触れたように江戸時代中期頃には、そこにあったようだが、氏神様はもともとそこには無かった。
当館露天風呂の位置にあって、明治35年前後に移転したようだ。私の亡き祖母が子供の頃に、父親に手を引っ張られながら神様の移転の為の行列に参列した事を、現“爺”に語ったと言う。
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