ルート工作
お盆から山で行方不明となっている人がいる。今日はその捜索レポート。
山は、標高2897mの笠ヶ岳。
朝は天候が良かったものの、少しずつ雲がかかってきていた。
警備隊が登山道や、付近の谷を捜索したが、未だ発見に至らず。今日は救助隊も含めて、鍋平側から見た笠ヶ岳の、稜線向こう側を捜索する事になった。この捜索で、笠周辺はほぼ網羅した事になる。
隊を2~3名ずつ5班にわけて、谷筋や尾根を捜索する事になった。いずれも道無き場所。
自分は北村君と北西尾根を担当した。
8時半過ぎから第一陣が飛び立った。第二陣でヘリに搭乗し、目的地へ向かう。標高2100メートルの小さなピークがあり、そこだけが樹林帯の中で唯一草地になっていた。(本当はもう少し笠寄りの2424メートルのポイントで降下するはずだった。) そこから、笠ヶ岳山頂直下の小笠を目指し、山荘で他の班と合流する予定だった。(もっと詳しく説明すると、谷筋を捜索する班は、ビバーク覚悟だった。)
携帯のカメラなので分りにくいが、この樹林帯の中を進んでいった。
まずは身の丈ほどの笹薮を漕いで行く。とにかく進まない。すぐさま二人とも滝のような汗をかいた。たまに樹林帯がなくなると天国に感じた。
まず、人が入らない場所なので、高山植物も豊富である。
笹薮やら、厳しい風雪で下に伸びている針葉樹の無数の枝に遮られ、行く手を阻まれていたが、少しずつ少しずつ、歩を進めていった。
無線もなかなか繋がらなかった。
あまりの藪で、ぶら下げていた熊よけの鈴すら鳴らなかった。
しかしこの笹薮漕ぎよりも、もっとひどかったのがハイマツだった。
警察が犯人を取り押さえる時に使う、“さすまた”だったか、あれが無数に幾重にも重なりあって、行く手を阻んでいるような感じだ。時にはハイマツの下を匍匐前進しながら進んでいった。北村君と話した、
「遭難してもこんな所は絶対通れない」と。
この尾根を進んでいけるのは、体調15センチくらいの“オコジョ”くらいなもんだ。
12時を過ぎても笠ヶ岳山荘になかなか到着しないので、山荘で待機していた副隊長が偵察に出向いてくれた。その時初めて無線が繋がる。
結局山荘に到着したのが、13時半。4時間半を要していた。とうに雲に巻かれ、ヘリでのピックアップは不可能だった。杓子平でひょっとすると可能かも、と言うことで即下山を開始。
15時、杓子平上部標高2600m付近で、雲の晴れ間がでる。
15時15分、無事帰還。他の班も稜線直下で、偶然の雲の切れ間でピックアップする事ができた。どの班もかなりハードな捜索となり、ヘリポートに着いた時の安堵の顔が今日一日を物語っていた。
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